Our concept
縁
人が人とかかわりを持つことを大切にしていきたいと考えています。
何かの縁で繋がりができ、そこに友情や愛情が生まれたり、師弟関係や同僚となったり時にはライバルや敵味方の関係になることも……。
こうして観音山ゴルフ倶楽部で出会うことも、何かの縁。
言葉を掛け合わなくても、隣同士でドライバーを振り回しているのも、何かの縁。
縁を大切にしていきたい。
そして人との「支え合い」や「助け合い」を深くしていきたい。
PGAトーナメントプレーヤー/観音山ゴルフ倶楽部社長
染谷 朋幸
9歳からゴルフを始める
日本体育大学荏原高等学校に進学
高校はゴルフの名門である日本体育大学荏原高等学校に進学。卒業生には丸山茂樹、西川哲、伊澤利光、細川和彦など。自身は3年生の時荏原高校ゴルフ部のキャプテンを務めていた。
東北福祉大学に進学
大学は数多くのトッププレーヤーを輩出してきた東北福祉大学に進学。同級生には宮里優作や松山英樹のキャディを務めた進藤大典など。大学のゴルフ部では宮里がキャプテン、自身は副キャプテンをしていた。
2007年にプロ入り
その後細川和彦プロに弟子入り。2年間の修業を経て2007年にプロ入りを果たす。
2021年観音山ゴルフ倶楽部の社長に就任
観音山ゴルフ倶楽部のこれまで
練習場のある場所は、もともとは牛を飼い、牛乳を搾乳していた牧場でした。
現会長である染谷文雄は25歳からゴルフにのめり込み、
“朝、牛の世話をした後ラウンドし、すぐに戻って牛の世話”
こんな日々を送っていたそうです。
その頃ゴルフ界はAON(青木功プロ、ジャンボ尾崎プロ、中島常幸プロ)という日本のスター選手の存在もあり日本のゴルフ熱が最も高まった時代でした。
ねばつち(粘土)で固い土壌での牧場経営、365日休みもなく、又牛の病気とのたたかいなど生き物の難しさを痛感していました。
染谷文雄は、一万坪の土地を利用してショートコースのゴルフ場を作ることを夢見ていました。しかしショートコースでは面積が足りない……。
そこで、平成元年42歳の時に立ち上がります。「高崎の町が見下ろせるこの地に、群馬県で一番大きなゴルフ練習場を」。その思いでオープンしたのが観音山ゴルフ倶楽部です。練習場の開設は皆の心配と反対を押し切っての行動でした。
当時県で一番大きい練習場だった観音山ゴルフ倶楽部はゴルフブームに乗り順調な滑り出しをしたものの、各地に練習場が出来始めバブルの崩壊と共にゴルフ人口も減少。一時はとても大変な時期もあったそうです。
平成が終り令和となった今、徐々にゴルフブームが再燃しつつあります。
観音山ゴルフ倶楽部では令和3年、染谷文雄の息子で日本プロゴルフ協会のツアープロでもある染谷朋幸が社長に就任。観音山ゴルフ倶楽部は生まれ変わりました。
変わり続ける観音山ゴルフ倶楽部の今後にご期待ください。